私たちの学生時代にはまだ英米よりドイツびいきの風潮が色濃く残っていました。
思想、文学・美術・音楽・科学・・・など。軽薄なヤンキー文化なんてフン!。
まずはマルクス・エンゲルスでなければ!でした。その上、ヘーゲルだ。サルトルだ。
唯物論・弁証法だと。毛沢東もいたりしてうるさかったこと。
一方、シューベルトの「冬の旅」をわからんドイツ語で歌って意気がったり。
三条通りか、寺町の居酒屋でドブロクを傾け、悪ガキどもの喧々諤々の日々が
なつかしい。
こうしてあこがれ混じりで、ドイツからは大きな影響を受けて過ごしました。
さらに尊敬していた美学・美術史教授からの影響もあったりして。
また70年の大阪万博の頃、知り合った同年輩くらいの数人のドイツ人たちで
毎週出会っていました。ドイツ語の性とか語尾変化なんか超適当に!。
ワアワアやりあったこと。
それで意思疎通?ができたから不思議。こんな数年があってドイツ語への「心臓」
だけが、まあまあできました。
私は小さい頃からのデューラー・クラナッハ ・ボッシュ・ブリューゲルなど北方
ルネサンス画家の作品、さらにそれ以前からの素朴な木版画・銅版画の魅力に
心惹かれてきました。
親父が持っていた「世界美術全集」を見て育ったためもあるのでしょう。
20歳頃から東ベルリンに拠点を移したベルトルト・ブレヒトに心を奪われました。
当時、彼のドラマの日本での上演が徐々に増えていました。シナリオの面白さと
懐の深さ。演出の新鮮な切り口。説得力のある表現。加えて評論と詩も。
お〜これだ。これだ。とその思想に共鳴、のめりこむばかり。
やがてそれは社会に定着することなく消滅!やむなく想いを厳重に封印して心の
奥底ふかくしまい込み、その後の人生を生きます。よくまあ素知らぬ顔をして
過ごしたものよ。と苦笑しかありません。
ベルリンの壁はあっけなく崩壊した。青春の想いはどうなった?ドイツに座り込んで
夢の跡を知り尽くしたいと思うようになりました。古い町の美術館を探して、中世の
木版画や銅版画を見よう・・・・・・。かつては「社会主義の優等生」と言われた東
ドイツはどうなってるんだう・・足腰が立って動ける間に行ってみようと。お付合い
のあるところに「不義理するけどゴメン」と断りを入れました。
ダルムシュタットのキリスト教日本人教会の牧師先生にお願いし、その教会の家主
さんの関係から安古アパートをゲット。おぉラッキー!。
(キッチン・バス・トイレ・光熱費込み350ユーロ/月 )
さらにネットで一番安い往復航空券を買い、ビユ〜ンと。2ヶ月半滞在。
「GG通信」は住まった田舎街「グロス・ゲラウ」から名ずけました。ジイさん・
バアさんの浮世離れしたドイツ生活の報告書です。アホらしいと言わず、どうぞ
お目通しください。